郷土愛って何

 高校野球がとても,とても好きでした.とは言っても,巷でよく言われるような「高校生のひたむきなプレーに感動して!」という訳ではありません.高校生のプレーそのものには,それほど興味はありませんでした.プロと比べると,スピード,技術,迫力のどれを取っても格段に差があることは小学生の目にも明らかでしたので.では,高校野球の何にはまったのか,答えは“郷土愛”ですね(断言した).昭和おやじの生まれは四国の愛媛県なのですが,春と夏の甲子園大会が始まると,まず愛媛県代表を応援し,愛媛が敗れると次は四国代表を応援し,四国勢が全滅した時点でもう興味なし,小学4年の頃から見始めて大学を卒業するまで,そんな感じでの高校野球観戦でしたね.

 

 小・中学生の頃,昭和40年代後半から50年代にかけてですが,愛媛を含む四国代表はかなり強く,けっこういい思いをしたのですが,それでも愛媛代表が負けた時は食事が喉を通りませんでしたよ.似たような人は多いのでは?で,郷土愛って何なんでしょうかね.自分の故郷を悪く言われると不快な気分になる,同郷の人には初対面でも親近感を覚える,地元が災害に襲われると気持ちが重くなる,これらは全て郷土愛と言っても良いかと思うのですが,おやじの高校野球に対する感情も郷土愛の一種と言ってもいいですよね.

 

 ではここで,食事が喉を通らなかった試合ベスト(ワースト?)3を発表します.四国限定なので興味のある方は激レアだと思いますが,まぁお付き合い下さい.

 

ワースト1:1983年夏の準決勝,PL学園vs池田高校

 えっ,愛媛代表じゃないって.そうなんです.池田高校の全盛時代は,愛媛県代表よりも入れ込んでいましたよ.池田高校については別の機会に話したいと思いますが,この試合の記憶は衝撃的でして,信じられない物を見た,という気分でした.それほど,当時の池田高校は無敵と思われていましたからね.

 

ワースト2:1975年夏の決勝,習志野vs新居浜商業

 優勝候補筆頭の習志野(エースは元ヤクルト監督の小川淳司さんでした)に我らが愛媛代表で初出場の新居浜商業が挑む,という構図でした.この時の新居浜商業は天理・上尾等の優勝候補を連破しての予想もしなかった決勝進出でしたので,もうそれだけで充分,という思いもありましたが,サヨナラ負けだっただけに悔しさが倍増しましたね.

 

ワースト3:1977年夏の決勝,PL学園vs高知商業

 しかし,こうして顧みるとPL学園は天敵だな,四国勢にとって.確か高知商業は,ここぞという場面で3度PL学園と戦って全敗だったような.明徳義塾松山商業も勝てませんでした.この試合はPLが9回裏に2点ビハインドから逆転サヨナラ勝を収めるのですが,8回まで絶好調だった高知商業のエース森(阪急に入団)が顔面蒼白になっていたシーンを鮮明に記憶しています.

 

 以上,郷土愛に燃える昭和おやじの苦い思い出ワースト3の試合ですが,これからも四国勢を中心にした懐古話をしたいと思います(四国に興味のない人,スマンです).